オカルトじゃなくて、電波系じゃなくて、普通に、リアルに、酵素くんは話をします。
(酵素浴の便宜上、「酵素くん」と呼びますが、実際には「酵母さん」、が正しいかも知れません)
私達が初期の酵素浴用ぬかを購入させていただいたのは、兵庫県の酵素浴「ぬか天国」でした。
会長、そして後継者事務局長からご指導をいただきましたが、その際に手入れの方法などお伺いしていると、その説明は期待したよりずっと大まかで、きっちりとした数字ではありませんでした。
(私達は、○月には○が○リットルで○は○キログラム、○の数値が○になったら、○を○グラム追加、などという一覧表のようなものがあるのだと期待していたのです。)
「季節やら湿度や土地によって条件は変わるから、これが絶対の数値なんてあり得ないでしょ」
返す言葉もない、確かにそれは道理です。もちろんです。わかります。でもでも、不安なのです。
初心者であった私達は、何とか客観的にわかる指標、つまり数字で知りたかったので、しつこく食い下がりました。
「つまりpHを測定したらいいですか?」
「水は何リットルまで調整範囲ですか?」
「室内の温度や湿度はどの範囲で正常ですか?」
答えは最終的にいつも同じ。「それは、酵素が言うからわかるから」
正直、「そういうのやめてーーー、そんな不確かな話はいやーーー」と思いましたよ。ええ。
動き出したものは、もうやるしかありません。大きな不安を抱えたまま、私達はスタートしました。
うまく行かなかったらどうしよう~ ある朝、冷たくなってるとかトラブルになったらどうしよう~
しかし… 本当だったんですね。「酵素が言うからわかる」。
確かに、酵素くんたちは、簡単な質問(こちらが予期できるもの)には、割と答えてくれます。
(こちらが答えを予期できない質問は、まあまあ聞き取れません。人語、日本語で答えてくれるわけではないので。 )
予期できる対話の例:(答えの選択肢が2つしかなくて、内容も単純)
「いま水はどうー?多いのー?少ないのー?」 「もっとくれー」
「エサはどうー?多いのー?足りないのー?」 「別にいらんよー」
こういう対話は、割とすぐにわかるようになりました。
答えを予期できない対話の例:
「本当は酵素浴って、どういう形になるのがベストなんかなあ」
「¢£%#&□△◆■」 「…へっ、なに?何だった??」
こういう対話は、返事してくれてもまったく意味がわかりません。
4,5日もして、突然「あーーーッ、わかった!球って言ったんだ!」などということがありました。
いや、「球」とか言われてもどのみち無理なんですがね…(^_^;)。
しかしながら、意思疎通はやはりできるんです。
そして、基本とても彼らは好意的です。こちらがどうであっても、基本親切なのです。
いろんなお役立ち情報を(こちらが尋ねてもないようなことも)伝えてきたりするのです。
酵素くんが見える??
「…なんか、見えるんすよ。うじゃうじゃ動きよるんですよ。」
はて虫が湧いたのか、それともコイツの脳が沸いたのか…と最初は思いました。
しかし、別のスタッフも、ある日同じことを言うのです。
「なんか、今日はちょっと掘ったら、すっごいざわざわーってしててびっくり。」そしてどんなふうに見えるのか聞くと、どうもどちらも同じような感じで見えているらしいのです。
そして、通って下さっているお客様にも、まさかの同じようなことをおっしゃる方が。
別のスタッフは、あるとき酵素浴の真ん中で仁王立ちしている樹木の精のようなトーテムポールのような存在を見たのだそうです。それが何なのか、よくわかりません。
(てくぞうは存在を感じるし少し対話もできるけど、見たことないのです)
何か、つながってはいけない回路が繋がるのでしょうか?
それとも頭がおかしい人が集まってしまうのでしょうか?
これは…、聞いてみるしかありませんね。
その答えは、「ごくふつうで当たり前」。
もとより微生物と我々は対話ができるものなのだそうです。
我々の体が、そもそも微生物によって運用されているものなので、対話できないと困るのだそうで。
とくに、「大量」の微生物が外に存在する時、それはひとかたまりで大きなひとつの意思を持った生き物のように行動するため、凡人でも対話ぐらいはできるレベルになるのだとのこと。
ひとつひとつの微生物はあまりにも小さく対話など到底できないのですが、大量になると違う。
ヒト同様、ひとりひとりの声は小さくても、市民レベルで、あるいは国家のレベルで、集団になればなるほどその声が大きくなるように。なのだそうです。
そうですか。「わかった!今わかった!!深くて広くなければ発酵微生物の本気は出ないのだ!!」って、頭の中に電撃のようにひらめいたのも、実は微生物の「大集団」の声だったのですね。
いや、あれ「お告げ」かと思ってましたよ。
昔の人は知恵があったんだなあ、どうやってそんなこと知ってたんだろうね。なんて思うことがたくさんありますよね。でも普通に考えて、昔の人って今の我々に比べて教育だって行き届かないし、当然に現代人よりずっとサルだし寿命も短いし、おっそろしく知恵があったりはしなかったわけです。
逆に、今の我々は知恵がつきすぎて、昔の人ほどそういう自然からの声が聞こえなくなってるので、昔の人すげえ!とか思ってしまうだけなんですね。
昔の人たちは、実は普通に微生物の声を聞いて、教えてもらってたわけです。
だって微生物たち、めっちゃ教えてくれますから。
現代人てくぞうにだけ教えてくれるとか、てくぞうが「超特別な選ばれし民」でしたなんて、そんなわけないんですね。(ええ、そうですとも、そうでしょうね… でもそうだったらカッコよかったのになあ…)
だから、昔の人たちは、もっといろいろ教えてもらってたと思うんですよ。
それまでの常識が崩れ、一度「微生物の声は、聞こえるものです」が腹に落ちてしまうと、別の種類の微生物の声が聞こえてきたり、ファッ!?って思うようなタイミングで内容が理解できてしまったりするのです。
だからやっぱり、神様でいいんじゃないでしょうか
それを昔の人は「ヤオヨロズの神」、って言ってたんかなと思うのです。
日本人って、唯一絶対神信仰じゃなくて、ヤオヨロズなんですよね。八百万の神。
いろんなところで、いろんな微生物が、あっちでもこっちでもいろんな生きる知恵を授けてくれて、でもその正体は何かわからん不明なわけです。だから、昔の人達は「全てのものには神が宿っている」、って自然に信じるようになっていったのかな、と思うに至るのです。
だから、あれやっぱり「お告げ」で合ってるんじゃないでしょうか。
あのとき、あちこちの酵素風呂に行って、結局わからなかった問いの答え。
「で、酵素浴って何なの?」の答えは、あのときに微生物が直接に教えてくれたのだと思います。
それは、あのとき、ぬか天国さんの巨大な酵素風呂の前に立った時、でした。
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